感謝をして、毎日を生きる

スピリチュアル方面で思ったこと、感じたことを書いています。

「永遠に幸せになる方法、見つけました。」を巡る考察 ~幽界トラップという名の蜘蛛の巣に捕らえられない為に~

先ずは、以下の動画を見て頂きたい。(軽く閲覧注意のこと。)

 

永遠に幸せになる方法、見つけました。


www.youtube.com

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1.歌詞

 

むかしむかしその昔 さざ波が洗う砂浜で
永遠を誓うその男女(ふたり) 花嫁が軽く呟きました。
“あのね、あのね、知ってるかな?” “ミナミの楽園、希望の都。”
“願い事叶うその場所へ” “行ける方法・・・見つけました!”

そう言い残して消えてしまった 永久に続く今、手に入れる為に。

“ハーイ、どーもー” “皆さーん!” “司会の、ワタシでーす!” “ハァイ”
“突然ですが、” “あなたの願いを” “叶えさせていただきまーす!”
“それでは皆さん” “お待ちかね!” “原罪ゲーム” “いってみよー!”

“ルールは簡単です!” “正しい手順で” “一言一句” “間違えないで” 

“唱えてくださーい。”
“準備はいいですかー?” “覚悟、出来てますか?”
“間違えたら・・・” “わかりますよねえ?”

“秘密のコトバですから・・・” “絶対” “ぜったい” “ゼェーーーッタイ” 

“間違えないでね!”

レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール
レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール 
犯シタ罪ヲ告白セヨ 犯した罪はありません!
マリア様ノ仰セノママニ・・・ひとつの答えを導き出す!

レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール
レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール
レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール
レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール

レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール・・・

ずっとずっと待ち続け 永遠、誓ったあの場所で
老いてしまったその花婿(かれ)は 静かに息を引き取りました。
“あのね、あのね、知ってるかな?” “ミナミの楽園、絶望の郷。”
“願い事叶う、その場所へ行ける方法・・・見つけました!”

そう綴られた花嫁(かのじょ)の手紙、誰にも読まれず朽ち果てて消えた。

“ハーイ、どーもー” “皆さーん!” “司会の、ワタシでーす!” “ハァイ”
“アラ?” “またあなたじゃなーい” “髪切った?” “切ってない?” “アラ、そう。”
“それでは皆さん” “お待ちかね!” “罪状ゲーム” “いってみよー!”

レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール
レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール  
犯シタ罪ヲ告白セヨ。 犯した罪がありました!
マリア様ノ仰セノママニ・・・ひとつの答えを導き出す!

レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール
レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール
レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール
レグバルクリヤンザンダスアティボン レガトルアルバンザンドライモール・・・

やったね♪ オメデトウ♪

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2.考察

 

この歌が、いったい何のことを言っているのか。

歌詞の内容が、何を意味しているのか。

顕在意識レベルで自覚して分かっている者は、そう多くはいまい。

だが、とても重要なことを言っているということは、潜在意識レベルでは、

恐らく誰もが分かっているのだ。

再生回数の多さが、それを物語っている。この記事を書いている時点で、

352万再生だ。(もっとも、アップロードされた時期はかなり前だが。)

 

そして歌と言うのは往々にして、

世の中の真実や真理を反映していることがよくあるのだ。

映画や小説などもそう。ただの歌だからフィクションだからと馬鹿にしたり、

軽く扱うことができない理由はそこにある。

そしてこの「永遠に幸せになる方法、見つけました。」も、例に漏れないのである。

 

筆者なりに、この歌の解釈をしてみる。

歌詞の全てではなく、重要なポイントに絞っていきたい。

 

まず、「ミナミの楽園、希望の都」(0:51)

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今いるところでは無さそうだが・・・

 

これの意味するところだ。

ミナミの楽園って、何だろうか?南の島か?
いいや。これは、死後の世界=幽界の話であると考える。

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幽界は現世界と限りなく近く、重なって位置している

 

そのすぐ後で、「願い事叶うその場所へ」(0:54) 「永久に続く今」(1:05)

という歌詞が続くためだ。

人間が死んだ後にまず行くところは、幽界とされている。

幽界は夢と同じ世界だから思ったことが即座に実現したり、

生前こだわりがあったことを延々とやり続け繰り返していたりすると言われる。

ただ幽界にも良い場所と悪い場所があって、

良い場所を「天国」とか「天界」ということがあり、

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悪い場所を「地獄」ということがある。

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この歌では、幽界の天国のことを、「ミナミの楽園、希望の都」と、

最初に歌っているのである。そして少し前後するが、

「そう言い残して消えてしまった」(1:02)

これは、歌の主人公の「花嫁」が、自殺か病死か寿命か何なのかは分からないが、

亡くなったことを暗に意味していると考えられる。

 

ここまでは、とりあえず良しとする。

(亡くなっているので、本当は良くはないがとりあえずということで。)

 

問題は、この次のパートからなのだ。

まず最初にここで断っておくが、タイトルに「幽界トラップ」と入れている通り、

ここから先は、とある「罠」なのであり、抜けること・回避することができる「罠」なのだが、混乱を避けるために、その抜ける方法はこの記事の最後に記すこととしよう。

まずは歌の解説から先に記していきたい。

 

浜辺のシーンから突如として場面が切り替わって、

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「懺悔の部屋」(1:15)

と、大きく表示された黒画面になり、その後、

 

「禁断の儀式」「未来永劫 永遠永久(上下反転)」(1:16)と、

画面いっぱいに表示されたほんの一瞬間のシーンが映り、そして、

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「ハーイ、どーもー」「皆さーん!」「司会の、ワタシでーす!」(1:17~1:21)

というセリフと共に、主人公の「花嫁」と思しき人物が、黒いドレスを着こんで、

大きく物騒な剣を持って、一変した装いで暗い背景の中を画面いっぱいに現れるのだ。

 

 これらはいったい何を意味するのか?

一つ一つ見ていこう。

まず「懺悔の部屋」(1:15)

これは、人は死んだ後に幽界に入ったら、

反省部屋のような所へ行かされると言う話があるのだ。そしてそこで、

生前の行いを、鏡とか水晶玉、スクリーンのようなもので全て見せられて、

「君は生前、こういう所が良くなかったね」「こうした方が良かったよね」

という反省をさせられるのだという。誰が反省を促してくるのか?

それは、天使であったり、神様であったり、キリストであったり、

エンマ大王であったり、様々な神々しい装いをしているという。

その存在は、死者によって見え方が違うというのである。

 

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キリストの「裁きの座」

 

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閻魔大王浄玻璃の鏡

 

 

しかし、それらは実は、自分自身の生前の信念が作り出す幻影なのである。

死後にそういう神々しい存在が現れて、自分が裁かれるという、

仏教やキリスト教イスラム教、ヒンズー教を初めとする古今の多くの宗教で、

説かれてきた教えを固く信じていると、幽界なので、自らを裁く存在を自らが創造し、出現させてしまうのである。

 

それが、

「ハーイ、どーもー」「皆さーん!」「司会の、ワタシでーす!」(1:17~1:21)

という、「司会のワタシ」の正体である。

この場合の「司会のワタシ」は、

天使や神様やキリスト、マリア様、エンマ大王のこと。

自らの生前の信念体系(思い込み)が創造してしまった、自らを裁く存在である。

自分で自分を裁くということになってしまうので、「司会のワタシ」なのである。

 

裁きの結果がOKであれば天国行き、NGであれば地獄行き。ということになる。

その裁き・審判のことを、「禁断の儀式」「未来永劫 永遠永久(上下反転)」(1:16)

と表現している。

 

これらの自分の創り出したはずの神々しい存在は、厄介なことに、

「もしこういう場合があったとしたら、どうするのが正解ですか?」

という、質問やクイズのようなことをしてくることもあるというのだ。

その質問やクイズは、正解するのが非常に難しいような内容の代物であったり、

選択式クイズなのに、答えが選択肢の中に入ってなかったりするケースもあるそうだ。

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いじわる問題、無理ゲーである。

 

関門クイズの答えが選択肢の中に入っていないと言う点では、

千と千尋の神隠し」のラストとも類似する点がある。

千尋が湯婆婆からある問題を出される。集められた豚の集団の中から、豚に変えられた両親を探し当てろ、というものだ。

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千尋はこの中には両親は居ないと真相を当てたことで、この問題をクリアし、両親と共に元の世界に変えることができた。

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これらの質問やクイズに上手く答えることができたら、

良い所(天国)へ案内してあげるよ、

上手く答えられなければ、

悪い所(地獄)で反省してくださいね、と言うことになるのである。

 

そしてその質問・クイズこそが、いじわる問題・無理ゲーこそが、

ここでやっと歌に戻るが、

「突然ですが、あなたの願いを 叶えさせていただきまーす!」(1:24~1:54)
「それでは皆さん お待ちかね!原罪ゲーム いってみよー!」

「ルールは簡単です!正しい手順で 一言一句 間違えないで 唱えてくださーい。」
「準備はいいですかー? 覚悟、出来てますか?」
「間違えたら・・・わかりますよねえ?」

「秘密のコトバですから・・・絶対 ぜったい ゼェーーーッタイ 間違えないでね!」

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の部分と、そこからさらに続く、

リズム音ゲーに見立てた意味不明の矢継ぎ早の文字列の、

嵐のような羅列の箇所なのである。

難しく答えようのない問いやクイズが、反省部屋で行われることを表現している。

 

この歌では、無理難題の問い・クイズ・試験に奇跡的に合格したことを前提として、

話が進められる。(が、それは先ほどの千尋の例のような本当の意味での「合格」ではないのだ。詳しくは「3.対策」を参照されたし。)

場面が、懺悔の部屋から夕陽の浜辺のシーンへ切り替わることで(3:02)、示されている。

ただし、ここで注意すべきなのは、主人公の「花嫁」が、

冒頭のシーンとは違い両手に手錠をはめていること。

この時点で何かに囚われていることを意味している。

 

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最初のシーンではなかった手錠がかけられている

 

「ずっとずっと待ち続け 永遠、誓ったあの場所で」
「老いてしまったその花婿(かれ)は 静かに息を引き取りました。」(3:19~3:33)

これは先に亡くなった主人公が、幽界で彼が死ぬのを待ち続けたことを意味している。

幽界はこの世と重なり合う世界なので、次元が少し違うだけでとても近い世界なのだ。

要は幽霊として、彼女は彼を待ち続けた、ということである。

 

「あのね、あのね、知ってるかな? ミナミの楽園、絶望の郷。」
「願い事叶う、その場所へ行ける方法・・・見つけました!」

「そう綴られた花嫁(かのじょ)の手紙、誰にも読まれず朽ち果てて消えた。」

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(3:34~3:56)

この辺から、解釈が少しだけ難しくなってくるように思え、少し迷うが、

これは、幽界から幽霊として彼女は、彼を始めとする肉体を持った生者へ、幽界のことを語りかけ訴えかけたが、誰にも気づかれずに、皆亡くなってしまったことを意味していると、筆者は考える。

 

亡くなった者たちが彼女を置いて幽界ではなく高次元へアセンションしたのかどうか、

それはここでは判断を控える。

なぜなら「希望の都」から「絶望の郷」へと表記が変わっており、彼女が生きている者たちへ幽界から忠告・警告をしているという見方が成り立ち得るから。

ここへ来てはいけない、ここは絶望の郷である、という警告だ。

生前の仲間たちが、自分を置いて高次元へ還って行ってしまったともとれるし、自分の警告を無視して幽界に後を追って来てしまった、ともとれるということである。

 

次に、夕日の浜辺のシーンから、また懺悔の部屋のシーンに移る。(4:07)

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ここは解釈が本当に悩ましいが筆者としては、主人公の「花嫁」が、輪廻転生をして別の人間に生まれ変わり、生きた後に亡くなって、また「懺悔の部屋」へやって来て、「司会のワタシ」=自分の創り出した裁く存在に、裁かれている様子を表していると推測する。

別人になったのなら、姿かたちが変わっていても良さそうだが、肉体を離れた魂ということならば、同じ姿かたちをしているとしても、とりあえず矛盾はない。(なにより話の流れとして、同じ姿かたちをしていた方が分かりやすい。)

 

「髪切った? 切ってない? アラ、そう。」(4:15~4:17)

この部分も解釈が悩ましい所であるが、

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髪切った?=神切った?

で、神を信じるという宗教の信念体系から抜け出たか?という、問いなのだと思う。

宗教の教えが、天国と地獄や死後の裁く存在を、信念として生前に植え込むため、

死後に懺悔の部屋へ行かされることになるからである。

「アラ、そう(残念ね。)」

というのは、

神を切っていない=宗教の死後の教えの信念体系から抜け出ていない、ということを、残念に思ったために出た言葉と言える。

 

こうして、自分が自分に裁かれて、罪状ゲームという無理ゲーが繰り返され、幽界に囚われて、輪廻転生が繰り返されることになるのである。

そう、手錠の意味は、幽界に囚われていること。あるいは、輪廻の環に囚われていることを表しているのである。地球内で輪廻をすると、魂が宇宙に居た頃や前世の頃の記憶を失う。かくして、永遠に輪廻を繰り返すことになるのだ。(「永遠に生きるという罰  (5:01)」)

 

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「絶対の愛と服従(5:00)

これもキリスト教などを中心とする宗教的な価値観の一つであり、

宗教的な信念体系に囚われて、あの世において自分で自分を裁いてしまい、

永遠に輪廻してしまっているということを表している。

「愛は」、確かに宇宙最高法理である。

※拙記事「トイレに神様なんていない」参照のこと。

kaiunsite.hatenablog.com

 

しかし、本来無条件であるはずの「愛」が、

歪められて、幽界でジャッジするための都合の良い物差しとして、条件付きの「愛」として扱われ解釈されていると思われる。

だから愛を与えられる一方で服従を伴っていたり、愛の押し付け押し売りだったり、特定の価値観の下で認定された愛だったりするのだろう。

 

少し前後するが、

天獄と時獄 どっきどき!♡ ゲーム」(4:20)

罪状ゲームの結果、仮に良い所へ行くことができたとしても、

幽界の中の天国なので、そこは本当の天国ではなくて「天獄ということ。幽界の中の、地獄よりはちょっとマシなエリアというだけ。「冥界」と呼んだりもすることもあるようだ。

5次元以上のアストラル高次元のことではないのである。

地獄ではなくて「時獄」としているのは、永遠に輪廻してしまうという、

終わりのない生のことを「時獄」と言っているのだろう。

 

以上が、歌の解説である。

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3.対策

 

これは歌ではあるけれども、真実をなぞっている歌なのである。

少なくとも筆者は、そのように感じる。

真実である以上は、これは大変なことだ。

永遠に輪廻してしまうとか、魂が永遠に捕えられてしまうという次元の話だから。

この世でお金が無くて生活が苦しいとか、受験や就活に失敗したとか、

失恋したとか離婚したとか結婚できないとか、そういう話とは文字通り次元の違う話なのである。

一つだけの人生の話ではなく、いくつもの人生を内包した話ということになるのなら、重大なことのはずだ。

 

だから、歌なんだけれども重大な真実だから、対策が必要になってくる。

死んだ後の話だから、「終活」ということにもなってくるだろう。

前置きはこのくらいにして、では、この歌の主人公の結末のように永久に輪廻しないようにするためには、どうしたら良いのか?ということについて考えてみたい。

 

①そもそも幽界は消滅しかかっている

ここまでさんざん脅かすようなことを書いてきて大変恐縮なのであるが、そもそも2018年に、光の善意の宇宙勢力によって、幽界トラップを形成している装置の大部分が撤去され、天国や地獄などを含めた幽界の領域のかなりの部分が消滅したという話がある。

 

ここで幽界「トラップ」という言い方について少し説明をしておくと、

幽界トラップとは、地球上の周りに幽界をハエ取り紙のように設置し、地球に魂を閉じ込めて、地球から出られなくするようにしてある幽界の仕組みのことである。

魂が幽界から先へ行けず、宇宙へ出ることなく、幽界から地球上の肉体3次元へ生まれ変わる。地球内で魂を回す仕組みで、これを輪廻と呼んで、地球外へ魂が行く転生とは区別している。

大宇宙において、魂の成長や成熟がまだまだ不十分とされている者や何かしら問題のある者たちが、その魂の成長や矯正のために地球に送り込まれ封じられていると言われる。

良く言えば学校、悪く言えば刑務所。もっと別の言い方をすると実験場とか、酷い場合にはゴミ捨て場、と言われることもあると聞いた。

ただ、地球の進化発展や地球人の魂の支援や救済のために、宇宙から敢えてリスクを冒してやってきた光の魂存在も、かなりの数が居ると言われ、地球の人口の半数以上も居るという話まである。

 

幽界トラップは1万年以上も続いてきたらしいが、地球46億年の歴史からすると、相対的にはかなり短いとも言えよう。

そしてその幽界トラップが、つい3年前に撤去されたという話があるのだ。

事実であれば、死後にそもそも幽界に囚われるケースが少なくなってくると思われる。

昔であれば、釈迦やキリストなど元々高次元から遣わされた魂存在や、日蓮上人などの修行を重ねたごく一部の覚者しか、幽界トラップを超えて次元上昇することはできないとされてきたが、今は時代が変わってきたということである。 実に良い時代になったものだ。

このことは、宇宙へ還りたがっている立場の魂たちにとってみれば、当然福音であろう。

ただ、1万年以上も長きにわたって続いてきたらしきものが、ここ数年前になって突然なくなったりするものだろうか?という疑問が、筆者にはあることも事実であるが。
(そういえば今は亡き船井幸雄が生前本の中で、幽界を念で瞬時に消滅させた、と言っていたのを見たことがある気がする。その時は単なるヨタ話、トンデモな妄想に過ぎないと思っていたが、今となっては、あの話は本当だったのかな?とも思えてくる。)

 

ただし、消滅しかかっている幽界ではあるが、まだ完全には消滅していないと言われ、(幽界が完全に消滅するのは2030年ごろではないか、という説もある。)また、

現世に生きている人々の想念が創り出す世界であるから、絶えず生成されては消滅することを繰り返しているとみられる。

 したがって、依然として幽界はあることはあるのだから、幽界トラップに捕まらないように対策をする必要もあると言えるだろう。

 

②死後の宗教的な信念や固定観念を完全否定する

 

幽界トラップへの対策は、まず第一に、幽界で自らを裁く存在を否定することである。

天使とか神様とかキリスト、マリア様やエンマ大王など、生前の自分の宗教的な死後の信念(先入観)があった場合に、そのような存在が現れて、反省部屋とか懺悔の部屋に入れられることになるのであるのだから、まずは死後の宗教的な信念(思い込み)を完全に捨て去ることである。死後観念のある宗教を信じないことだ。

死後世界について、いったん ニュートラルの状態に戻す。

天獄も地獄もないのだ、という認識をまずは持つこと。

死後裁かれるということはないんだ、という認識を持つこと。生前のことは、魂にとってポジティブな面も、ネガティブな面も、全て必要な経験・データであったから起きたことであって、裁かれるということはないのだ、という認識を持つことが重要である。

だから、宗教的な権威に扮した自らを裁く存在が現れること自体、おかしいことなのだと気が付くこと。そして、その裁きの存在を創り出しているのは、他ならぬ自分自身なのだ、という事実に気が付くことである。人間一人一人が創造の力を持つ、本来は神の分霊なのである。

反省部屋も懺悔の部屋も、裁きの存在も、天国も地獄もないんだ。

あったとしたら全て自分が生前の先入観で勝手に作り出したものなんだ、という認識を、常日頃から持つこと。持ったまま死ぬことが、重要である。これがまず第一。

 

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惑わされない


 次に、それでも死後幽界において万が一、反省部屋とか裁きの存在が現れた場合、どうするか?を考えたい。

長年にわたる宗教上の強烈な洗脳と固定観念により、精神的なブロックが完全に除去しきれなかったから発生した物。と考えて良い。

あるいは、宗教自体入信したり、信じていたりしていたわけでは決してなかったけれども、死後これこれこういう世界(天国や地獄、裁きの存在)があるんだよという話だけは知っていて、それを心のどこかで無意識に信じてしまっているケース。完全なる無神論者になり切れていないケースだ。これもブロックが完全には除去できなかった、ということになる。

 

まずは、もし仮に裁きの存在が現れたら、その存在のことを頭から信用しないことだ。

訪問セールスやキャッチセールス、宗教の勧誘か何かのような目で疑ってかかること。

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天使とか神様を装っているから、神々しいような、まばゆいばかりの光を放っていることも多いらしい。けれども、信用しないこと。

光の方へ付いて行かないこと。光っているからと言って、正しいかどうかは分からないのだ。

ブラック企業の求人広告だって宗教だってなんだって、表向きには良いことを謳うものだ。同じことで、光っているからと言って直ちに信用してはいけない。それはこの世でもあの世でも同じことなのである。

闇に包まれても恐れないで、本物の高次元からの迎えが来るのを待つこと。本物の高次元からの迎えはジャッジしないから、そこで見分けはつくはずだ。

何かを質問してきたら、「答える義務はない。」と言うこと。

逆に、「あなたは何者だ?名を名乗りなさい。」と問い返すことだ。

そして、反省部屋・懺悔部屋のような所へ連れていかれようとしても、くれぐれも決してホイホイとついて行かないことだ。(だってそれは、キャッチセールスや宗教の勧誘に等しいのだから。)

クイズ・無理ゲーには、一つの答えを導き出して正解を答えるのではなくて、

そもそもクイズに参加しないのが本当の正解。乗ってはいけないのである。

 

とにかく光に包まれた神々しい存在であるほど、言うことを聞かないこと。

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↓は参考図書である。

 

 

③満足しきった状態(未練を残さない状態)で死ぬこと

今世に未練が残っていると、留まろうとしてしまい、肉体3次元と重なり合った近しい領域である幽界に囚われやすくなる。

だから、後悔のない人生を送るということが何よりも大切である。また、やり残したこと、やらないで後悔していることや、心残りになっていることなどは、死ぬ前に全て終わらせる終活も重要になってくる。

終活というと死の準備しているようで何とも後ろ暗いように見えるが、死は終わりではなく魂が別次元に映るだけの話で、そして魂が幽界に囚われて無限ループしないようにするための手段の一つということで考えれば、終活は前向きなものであるという見方も成り立つ。

ただ、幼い子供を残した場合などは、どうしても未練が残ることになりがちだろうと思う。無理心中するわけにもいかないし、だから、スターシードの多い現代では、未練を残さないために敢えて結婚しなかったり子供を持たなかったりする人が多いという話も、聞いたことがある。

 

④この世から引き留められないこと

この世で残された家族などが、正しい死後の霊的知識を持っていないで、死んだら無になるとか地獄へ行ってしまうんではないかとか心配ばかりしていると、その生者の思いが引力となって死者の魂を幽界に引き留めてしまうことがあるそうだ。

だから、死ぬ本人だけではなく家族などの周りの人間も併せて、誰もが正しい霊的知識を持つこと。これが必要となる。

死んでも終わりではないんだ。天国も地獄もないんだ。高次元(=宇宙)へ次元上昇して行けるんだ。他所の星へ転生することもできるんだ。元々宇宙に居た人がそもそもほとんどなんだ。還るだけなんだ。

という認識を持つことこそが、肝要なのである。もちろん、元々地球に居た人だって、魂が進化成長していけば、他所のもっと良い星へ転生することもできるようになるのである。もちろん地球に留まることも自由であろう。

 

⑤霊体が傷ついていない、修復してある状態であること

人間の身体は肉体の上に霊体として、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体など複数種類を重ね着するようにまとっている。(細かく分類すると、もっと多くの霊体をまとっているそうだ。)

だからこの世での「死」は、肉体次元が終わるだけで、その上のエーテル以降の次元は終わらないのだ。しかし霊体が傷ついていると、幽界に入らずに迂回して、あるいは幽界から、それよりも上のアストラル界へ昇っていくことが(少なくとも自力では)困難になると言われる。

この霊体修復に関しては、youtubeにアップされている各種の瞑想ワークとか、ヒーリング音楽などあるが、効果のほどは不明だ。筆者個人としては、宇宙最高法理である「愛」のエネルギーが鍵を握っていると見ている。愛は何でも癒してしまう、万能薬のようなものであろう。そうしてくると愛と同調するソルフェジオ周波数の音叉ヒーリングなども、可能性が見えてくる。

 

ただし、確実に実効性あるものに関して目下リサーチ中である。追って報告したい。