感謝をして、毎日を生きる

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「かごめかごめ」を巡る考察 ~地球輪廻の環を抜けることが困難であった時代~

先ずは以下の動画をご覧いただきたい。

 

かごめかごめ


www.youtube.com

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1.歌詞

 

かごめかごめ

籠の中の鳥は

いついつ出やる

夜明けの晩に

鶴と亀が(と)滑った

後ろの正面だあれ?

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2.考察

「かごめかごめ」は伝わった地方によって歌詞が違うが、

もっとも典型的な歌詞は、上記の物であるように思われる。

 

この歌は謎が多いとされており、色々な解釈がされてきている。

多義的な解釈を楽しむために自然発生した歌とする説、元々児童遊戯の歌として成立したとする説、遊女説、日光東照宮説、豊國廟説、芦名埋蔵金説、陰謀説、囚人説、明智光秀南光坊天海同一人物説、神示説、降霊術説、呪術説など、ウィキペディアに挙がっている説だけでも枚挙に暇(いとま)がない。

 

だがどれも大体共通するのは、闇が深いとされていることだ。

どこか不吉で暗い影がある。本当の所は分からないが、筆者なりの解釈を試みたい。

 

「かごめかごめ」

「かこめかこめ(囲め囲め)」が訛ったものとする解釈を採用する。

子供たちが「鬼」とされた真ん中の者を実際に輪を作って囲んでいるためだ。

これ自体はそんなに難しくない解釈だろう。

だが、鬼の子を囲む子供たちの作っている「輪」

この輪は、地球で輪廻を繰り返している、輪廻システムのことを指し示している物と筆者は考える。

 

 

「籠の中の鳥は」

魂の進化向上や発展、矯正のために地上で魂修行をしている人間を表している。

地球輪廻の輪の中に閉じ込められて=籠、出られないでいることを意味している。

鳥、としているのは、単に籠に閉じ込める生き物として適当なのが鳥というのもあるだろうが、鳥が爬虫類から進化した存在と言われていることも、もしかすると関係しているのかもしれない。

爬虫類脳は、生存欲求・生殖欲求・支配と従属、という特徴があり、ネガティヴに振れやすいものだ。

 我々は爬虫類脳的な性質から、社会性や理性を持った哺乳類や人間的な性質へ魂を進化・発展・向上させるために、地上で魂修行をしている、という見方がある。

 

「いついつ出やる」

前の詞を受けて、一体いつになったら輪廻の輪から出られるのだろうか?という意味である。

現代のように情報化社会でなかった時代に、地域ごとの変化は有るにせよこれだけ全国的に普及し、そして今もなお語り継がれている歌なのだ。何かしら、ただならぬ重大な意味があるということ。だからこそ、歌詞の真義について様々な説が挙げられているのである。

筆者の解釈の通りならば、この地球輪廻というものは相当な長期間に渡って続いてきたものであることが、うかがい知れよう。

 

 

「夜明けの晩に」

夜明けというのは、早朝のことである。

晩は夕方だ。

だから、早朝の夕方というのは意味が通らない。

矛盾していることになる。

したがって、存在しない時である。ということになる。

 

 

「鶴と亀滑った」

神話的なレベルの話では、鶴は寿命が千年、亀は万年(1万年)とされている。

滑った、というのは、ここは解釈が難しい所であるが、そのままの意味であると考えたい。

滑るはスケートやソリのようにスーッと滑るイメージと、冬の凍った路面でつるっと滑ってひっくり返って転ぶイメージが一般的であるが、この場合は後者の意味であると、とりあえず仮定する。

鳥なので基本飛ぶ生き物だから鶴は滑ることはなさそうだし、どっしり4つ足で安定している亀も滑りそうもない

寿命の桁外れに長い者でも、できそうもない、起こりそうもないことだ、という意味であると考えられる。

 

 

「後ろの正面だあれ?」

後ろの正面、という表現は、矛盾した表現なのである。

これは、筆者がここまで書いてきた文脈の流れでは、後ろを向いた正面に居るのが誰か、という意味ではない。

そのままの意味で、後ろであり、尚且つ正面である場所=矛盾した存在しえない場所に居る者が誰なのかを当てよ、と言う意味なのだ。だから当てようがないのである。

当てようがないのだから、

輪の中の鬼が輪を出られることも絶対にない=輪廻の輪から解放されることは絶対にない、という、当時の苛酷に環境に置かれた人々の悲哀を歌ったものであったということだ。

 

まとめると、

籠の中の鳥が出られる時期は、夜明けの晩に鶴と亀が滑った時だ。後ろの正面の人物を当ててみよ。=地上で魂修行している人間が輪廻の輪から出られる時期は、絶対にやって来そうもない。

だってキミ、有りもしない場所に居る人(輪廻から抜けた人)が誰なのかを当ててごらんよ?

という解釈ができる。

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 3.対策

もっとも、これは昔の歌。江戸時代の中頃に初めて文献に登場したらしい。

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今とはだいぶ異なる時代に創られた歌であることに留意しなければならない。

 

科学は未発達であるし、貿易や国際交流もしていないし、インターネットもない。

光のスターシードの地上への大規模集団転生も、時期的にまだ行われていない時代の話だ。波動がだいぶ荒く、霊的な知識も集積整理されていない時代のこと。

宇宙とか宇宙人と言う概念すら無かったろう。

 

昔の日本人は西洋文明よりも精神性は高かったという話もある。

確かに、工業的な畜産などをやっていなかったり、肉食を禁止していたり、自然に配慮した独自のリサイクル文化があったり、木と紙でできた家や日本庭園など自然との距離感も近く、人間社会においても和の精神や恥や譲り合いの文化(≒愛)などがあったように、本当にそういった側面があったことも事実であろう。

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江戸時代のエコシステム

 

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三方一両損

 

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肉食禁止令

 

 

しかし盗人や不倫は市中引き回しの上死罪とか、大名行列に土下座しなければ切り捨て御免、とか、飢饉が起きたら娘を身売りする、などといった無茶なことをやっていた時代であることを思えば、やはり現代社会とは隔世の感があろうと思う。

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市中引き回し

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江戸時代の飢饉

 

人権とか、法秩序とか、国際協力とか、動物愛護や自然保護や地球環境など、色々な改善へ向けた(おそらくは宇宙からの援助に基づく)不断の努力が行われてきているのであり、現代世界や日本の精神性は「かごめかごめ」が創られた江戸時代当時とは、比較にならないほど高くなっている

 

そして、地球の波動を上昇させることが大宇宙の大きな方針としてあるのであり(それは1987年に決定されたとも聞くが)、2012年に地球波動のディセンションが底を打ってアセンションの時代に入り、2018年には幽界トラップの大部分が撤去されたのだ、という話までもがある。

※幽界トラップについては拙記事「『永遠に幸せになる方法、見つけました。』を巡る考察」の「対策」部分を参照のこと。

kaiunsite.hatenablog.com

 

一説には、嘘か誠か45億人の光のスターシードがまとまって地球に転生し、地球人の救済や波動上昇に貢献するためにやってきた、と言う話まである。かつてなかったことであろう。波動の高いスターシードは、ただその場に存在するだけで周りの波動を上げていくと言われる。地球は今、エレベーターとかエスカレーターのように全体的に波動が上昇している状態と言えるだろう。

 

かごめ歌の創られた当時とは、まるで状況も環境も異なるのである。

だから、ずっと永らく地球に居た魂をも含め、天から遣わされた聖人君子とか長く厳し修行を積んだ覚者でなくても、輪廻の輪から抜けることができて、高次元へ次元上昇することが選択肢として視野に入ってきているのである。

 

大変恵まれた時代に生まれ生かして頂いていることを、筆者としても心より感謝したい。